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文字は消えない

言葉が生まれてから、それを記憶するために。また、記録していくために使われるようになったのが文字。
文字を持たない民族もあるので、漢字が入ってくる前の日本に文字があったかどうかは不明ですが、文字があって、ほんと便利。
日本の場合は、漢字を発明してくれた中国に感謝ですね。

まあ、日本語と融合してくために、一つの漢字に音読みと訓読みが出来てしまい、漢字では難しいので平仮名とカタカナが生まれ、ちょっと複雑な文字形態になってしまいましたが。

人の気持ちや、物事の伝達に、昔は手紙が使われていました。
それが、電話を使うようになり、今では電話機を使ってLINEの時代です。話す電話より、文字を使っているので手紙の方が近いんでしょうかね?

LINEはアプリの一つなんですが、日本では一つの文化になってます。

原始の時代には石に彫られていた文字も、パピルスへ書くようになり、紙となり、今ではタブレットとかスマホとかパソコンとか電子の時代となりました。
自分の手で書くって感じはかなりなくなってきました。

字が下手なので、出来れば何でもパソコンで作ってしまいたい私です。

大きく歴史を考えると、媒体は変わっても、文字は消えません。

ただ、もっと先の長いスパンで考えると、日本語だって、いつ使われなくなるか分かりません。
マヤ文字は、およそ16世紀まで使われていた文字ですが、まだ完全に解読はされてません。

いつだったか、原子力発電で出る核のゴミをどうするのかという番組で、何万年も地下に保管しなければならないが、1000年も経てば、今話されている言葉とは違う言葉が話され、違う文字が使われている可能性が高い。現代人が、責任を持って保管出来るのは、100年ほどだろう・・・と言うような内容でした。

核のゴミの問題は、今回は置いておいて、やはり言葉も文字も死滅するのは、必至。
長い人類の歴史の中で、いったいいくつの言葉や文字が生まれては消えていったのでしょうね?

脳波をキャッチ! Google glass

昔からの夢が、自分の考えている事をそのまま画面に映し出してくれる機能。

というのが、HTMLを組んでいると、何度も同じようなが具が出て来たり、結構組むのが面倒になったりした時に、今、自分の思っているタグをパソコンが打ってくれたらいいのに・・・と言う事から、そんな事を思うようになりました(^^)

そして、私が思っている事の一つに、私程度の人間が思っているような事は、もっと賢い人がもっと前から考えて、すでに研究している人たちがいる! と言う事。

これは、「MindRDR」というアプリ。脳波を測定する「Neurosky MindWave Mobile」という機械と組み合わせて使う仕組み。
今のところ出来るのは、写真を撮ることと、それをフェイスブックやツイッターに投稿する事。
でも、これだけでも凄いですよね☆

音声で指示を出すのは最近増えてきたけど、独り言を言う人が増えるようで、私はあまり嬉しくない。だから、余計に思考を読んでくれるモノがあればいいのに・・・と思うわけです。

まだ研究段階ではありますが、以前IBMも思考を読む機械を研究中と発表してましたしね。
オーストリアの「G-tec」という会社が、脳波でコンピュータを操作するBCIを販売している様子。2011年に書かれた記事です。

世の中は、どんどん進んでいく訳です~。

まだ頭にいろんな機械をくっつけないと使えないみたいですが、未来が楽しみになります☆

タブレットの普及で

スマートフォンの普及はかなりのものですが、年代を越えて重要があるのは、タブレット?

何より、スマホより大きい!

と言う事は、年配の人でも見える!

だいたい、最近のスマホは大型化の傾向にありますから・・・・。

その内、垣根が無くなったりしてね。

 

タブレットの良さは、手軽な事。

一つあれば、本が読める。メモも賭ける。そのメモも、アプリがたくさんあるから自分に使い勝手のいいものが選べる。

Lineも出来る。

スマホより大きいから、ブログなんかも書きやすい。

 

紙の良さを考えてみると・・・。

質感?

本なんかだと、その表紙の手触りとか、持った重みとか。

メモを何枚もj書いて、好きな順に並べて見るtこともできる。タブレットだと、並べられないメモもあるし、何枚も並べると画面の中で小さくなって、ある意味イライラする。

 

まあ、紙は資源だから、あまり使わなくなった方が良いに決まってる。

紙とタブレットが混在する現代だから起こる現象も、いずれ無くなってしまうんでしょうね~。

日本、私たちの未来

日本国憲法
 第二章 戦争の放棄
   第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
   武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
   国の交戦権は、これを認めない。

 

気付くと、日本はいつの間にか武器を輸出する国になっている。

日本では、武器、それから武器を製造する技術、それから武器に転用可能なモノの輸出は禁じられてきた。

日本の技術力は高く、転用されないために、企業が家電製品を海外へ持っていく事さえ書類の提出が大変で・・・なんて話を聞いた事がある。その、同じ日本が、いつの間にか武器を普通の商品と同じように・・というか、商品として輸出してしまう時代がやってきた。

 

日本の歴史を変えることを、憲法一つ変えずに今の政府は簡単に行ってしまっている。ただの解釈だけで。

日本の方向性は、もう去年とは180度変わってしまった。

普通の国になるために、憲法9条を捨てたいのであれば、ちゃんと国民投票すればいい。

集団的自衛権を行使すると言う事は、いろんな言葉でうやむやにせずに、他国で自衛隊員が戦闘中に死亡する覚悟が必要だと、国民に説明すればいい。

 

「戦争はしないと言っているではないですか。」

 

時の総理はそう言うけれど、解釈だけで集団的自衛権を行使すると決められるのであれば、集団的自衛権の行使を認めたら、今後の政府が再び解釈を変えることなど簡単に出来てしまう。

 

日本は再び戦争をする国となり、再び日本の国土が戦場になる可能性が高まったと、気付いているんでしょうか?

LINEを使うようになって

LINEを使うようになって、めっきり電話する機会が減った。
どれだけ話すのが嫌いなんだ?
なんて思うけど、会うと話続けるから、話すのが嫌になったわけではないらしい。

 

電話の嫌な部分は、話している最中は楽しいけど、電話を切ると途端に手持無沙汰になること。
それに、いきなり掛ってくるから、都合良く出られない場合もあるし、嫌々出ることもある。
利点は、直接話すので、伝えるのに時間がかからない。

line-img

LINEだと、既読になれば伝わったと思う。

既読になって返事がなくても問題ないけど、急いでいる時はちょっといらつく。

でも、それは電話しても相手が出られないのと同じだし・・・・。

 

LINEの良さは、簡単な事。チャットと同じだから、話をしているのと変わらない。ちょっと打つのに時間がかかる可能性があることくらいが問題?
スタンプとかも多いから、それだけで気持ちが伝えられる。反面、腹が立っているのににっこりマークの場合はあるから、要注意。
と言っても、それも、腹を立てていても何食わぬ顔で話をしている事と同じようなもの。

 

気軽だし、スピーディだし・・・・。

 

昔は、通信手段と言えば、手紙。
そこへ電話が加わって、画期的な通信手段として普及。
今は、携帯電話へと変化し、最近では固定電話を持たない人も多くいる。

 

さて、さて・・・・・

今後、LINEがあるから、通話機能は必要ない?

判子と印鑑

判子を持ってきてください。

とか、

印鑑お願いします。

なんて、良く使われるけれど、まったく言い方が違うのに何が違うの?

 

な~んと!違う事を現している言葉なんですね☆

 

まず、判子は、だいたい棒状をしている名字なんかが彫られているモノを指しています。

 

片や印鑑は、判子を押した時に紙に現れる文字とか絵の方を指しています。

 

だから、印鑑持ってきた? って言うのは間違いって事ですよね?

判子持ってきた? の方が正解。

そうなると「印鑑押してください」って言うのも変だから、「判子押してください」が正しいと言う事になります。

 

区別をしていないから、いつも適当に使ってましたが、知ってしまうともう正しく使わないと気持ちが悪い!

予定は未定

予定は未定とは、うまい言い方だな・・・・としみじみ。

私の場合、予定はなかったことで・・・・くらいのことになりますが。
奇数日に書こうと思っていても、思いつくと偶数の日に書いていたり、
奇数日は忙しくて、それどころではなかったり。

 

 

こういう予定で・・・と決めても、出来なければ決めたことにならないし。

もしかして、「決める」という事よりも、「続ける」と言う事の方が難しいかも。

 

決め方が甘いから、続かない。

と言われればそれまでだけど。

「継続は力なり」と言う言葉もあるように、こういう予定でやって行こうと決めても、やはり継続力がなければ、かなり諦めるのは簡単だと思われる。

 

そう、心が折れる時って、今までふんばってきたのが嘘のように、ポキッと。

それは、もう、信じられないようなあっけなさだもんね。

 

継続をするためには、きっと、先のビジョンが明確でないと、どこへ行けばいいのか分からなくなって、諦めてしまうような気がする。

だから、何かを始める時には、必ず明確なビジョンを持ってからの方が継続しやすいのではないかと思われる・・・・

雨、あめ、飴、編め・・・

雨、あめ、天、飴、編め・・・・

日本語は同音異義語が多いので、こういう事になりますが、恐らく天と雨は、もともと同じような意味から生まれた言葉ではないかと・・・。

元が同じで、年月を得て、天と雨に分かれた・・・みたいな。

 

と言うのは、農耕民族の日本人は、太陽の恵みは勿論必要だけれどい、雨の恵みもとても大事。

農耕民族でなくても、生きていく上でも水は大切ですけど。

雨乞の儀式なんてあるくらいだし。

 

「天水」という言葉があって、文字通り天の水で、イコール雨の事ですよね。

テンスイと読めば、これは音読み。でも訓読みだと、アマミズ。あるいはアメミズ。

 

「天」というのは、かなり抽象的な言葉。空とは違うし、どちらかというと空よりも上って感じ?

さらに、「神様のいる場所」と思っていたりする。これは、どうでしょう? 日本の神様は天から降りて来たらしいから、間違ってはいないけど、若干、現代の日本人が感じている「天」は、キリスト教の影響が大きいのかもしれない。

 

因に、「飴」に関しては、「甘い」から生まれた言葉のよう。

視野を広げる

特に忙しい訳ではなくても、何かしら追い詰められているような感じで、落ち着かない2ヶ月ほどを過ごしたら、最近は何気に・・・・・開き直ったのか、楽になったと思う。
数人と話をしたことも良かったかな?

 

そうしたら、一つの事だけではなくて、少し広げたイメージで俯瞰出来るような感じにもなってきた。

 

自分のキャパは、そうそう広げられなかったり、高い位置にいても追い詰められて俯瞰できなかったり。人には感情があるし、体力の問題もあるし、いつもいつも思うようにはならない。

 

ただ、やはり目標を持つこと。心が折れそうになっても踏ん張ること。
精神的にも体力的にもきつくなると諦めてしまいがちだから。

 

今思うのは、夢はあっても、現実とのギャップにため息しかでなかったけど、気付けば自分の夢には近づいてるじゃないかってこと。
勿論!うまくいくかどうかは分からない。
できていない部分は許してあげて、これから埋めて行けばいい。
ホント、気がつけば、自分の理想に近づいていた。

 

ベースになる部分でまだ足りないところはあるけど、今後どうすればいいのか分かってきた。
ベースが出来れば、あとは中身を詰めて行くだけ。

 

ということで、視野を広げて見てみれば、今はまだベースを作っている最中。
でも、あと一踏ん張り!
形が見えてきましたよ!

集団的自衛権は必要?

集団的自衛権は、国際的に認められた国が持てる権利。

今まで持たなかった国が、集団的自衛権を持とうとする事は決して変な話ではない。

では、日本は?

 

いきなり、集団的自衛権を憲法解釈の変更で持つ事が出来ると言われても、そもそもじゃあ、憲法って何なの?

と疑問に思う。

解釈って、180度変えられるような物なの?

人を殺した人を、解釈だけで、この人は人殺しではない・・・と言うような物ではないの?

日本国憲法
 第二章 戦争の放棄
   第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
  武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この憲法を読んで、だいたい集団的自衛権どころか、自衛隊さえ持っちゃいけないんじゃないの?
と思うのは、誰でも同じでしょう。
GHQからこの憲法を押し付けられた日本は、その後、朝鮮戦争時、アメリカからの要請で自衛隊の前身「警察予備隊」を創設している。要請なのか命令なのかは知らないけれど。
その後、「保安隊」となり、自衛隊に。

 

この自衛隊を軍隊と呼ばない日本は、憲法9条に翻弄された感が・・・・・。

 

自国を自分たちの手で守れないような国になってしまった日本を、当時の人は、かなりプライドを傷つけられ、嘆かわしく、悔しく思ったのだろうと推察します。

 

だからといって、その時の思いをそのまま今の現状に当てはめるのは無謀じゃないの?

戦争を放棄したはずの日本は、すでに自衛のための武力を持ち、海外へ自衛隊を派遣している。

 

いろんな矛盾が存在する憲法9条。

 

憲法9条を持ちながら、自衛隊が存在し、武器を持つのも、平和のために自衛隊が派遣されるのも、専守防衛のためと世界の平和のためだと思えば、否応無しに納得して来たように思うけれど、戦争をするために自衛隊を派遣できる集団的自衛権を持ってしまって、日本は本当にいいの?

 

第二次世界大戦時、国民に対して死んでこいと命じた日本国政府と同じように、今の政府は、自衛隊員に対して、死んでこいと命令するの?

 

さらに、戦争をしないと誓った日本が、戦争のための武器を食料品を販売するように、他国に販売していいの?

 

軍隊を持つ事は、国際的に認められた権利。

 

もし、自衛隊を軍隊と呼びたいのなら、武器を持ち、先制攻撃も可能にしたい、地球上のどんな場所ででも戦争に参加するのだと言うのであれば、日本人全員で考えよう。

今ある憲法で、国民投票をすればいい。姑息に、数の操作なんてせずに!

 

なんて言うと、「日本は戦争しないといっているじゃないですか!」

と時の総理が語気強く言う光景が浮かんでくる。

そう、今はね・・・・。

 

でも、解釈だけで論理を180度変えてしまえば、地球のどこででも戦争の出来る国にしてしまうのは、今よりも簡単。すべては、集団的自衛権があるから・・・で事足りる。

 

今、何よりも知りたいな・・・と思うのは、日本人は憲法9条をどうしたいと思っているのかってことですかね。