良く言われるし、当たり前のことだけど、諦めたら終わり。
で、諦めずに何をするかといえば、
自分の欲しい結果のためのチャンスを手に入れること。
チャンスを作り出せれば、結果は自ずとついてくる。
チャンスを五回作り出せたら、精度が悪いと成果は1とか2。
精度が良ければ、全部成果につながる。
この精度は、自分次第。
チャンスを作り出す力と、成果につなげる精度を磨くことが毎日の課題。
ということがわかった今日。
良く言われるし、当たり前のことだけど、諦めたら終わり。
で、諦めずに何をするかといえば、
自分の欲しい結果のためのチャンスを手に入れること。
チャンスを作り出せれば、結果は自ずとついてくる。
チャンスを五回作り出せたら、精度が悪いと成果は1とか2。
精度が良ければ、全部成果につながる。
この精度は、自分次第。
チャンスを作り出す力と、成果につなげる精度を磨くことが毎日の課題。
ということがわかった今日。
「全然」
この言葉、私が子供の頃は、否定的に使う言葉でした。
・全然知らない。
・全然気づかない。 など。
ネットで調べてみても
《後に打消しの言い方や否定的な意味の表現を伴って》
と、説明してある。
それが、最近では、肯定的にも使うようになってきた。
「これ、好き?」
「全然、大好きですよ」
なんて感じで。
多分、最初は使い方が間違っていることをちゃんと認識しながら言っていたと思われるが、
今では、普通に会話に入ってくる。
こうやって、言葉は崩れていくんだ・・・
なんて思うけど、一つの言葉を突き詰めて調べていくと、もともとはこんな意味を持っていたが、
後にこの部分だけを指すようになった・・・みたいな説明がしてある場合がある。
全然という言葉も、そうなるんでしょう。
100%否定の言葉として使っていたが、後に強調に使われるようになる。
なんて。
30歳を過ぎる頃からか、人って成長しない生き物だと実感したのは。
人を見て羨ましいと思ったり、妬んだり、好きになったり、嫌いになったり。
それは、今でもよく思うこと。
じゃあ、大人になるってどんなこと?
と考えると・・・
「経験から得た分別と常識」をどれだけ使いこなせるかってことなんじゃないかと。
長く生きていると、いろんなタイプの人と知り合いになるし、付き合うことになるし、
常識が人によって違うことも分かってくるし。
知識も必要なのだけど、知識を振りかざして分別を間違えてしまうと、モンスターペアレンツでしょう、きっと。
だからと言って、人を好きになったり、嫌いになったりは、以前とあまり変わらない。
生まれ持った性格は、ほとんど変わらないよね・・・。
だから、今でも夢は夢だし、叶えたいと思うし。
ホント、その辺は昔と変わらないんだな。
相手の言い方が気に入らないと、意地になってみたり。
ただ、これだけは思うのだけど、「ありがとう」「ごめんなさい」なんて言葉をちゃんと言える人でいたいと、それだけはとても思う。
良く息のあった人たちのことを「阿吽の呼吸で・・・」なんて言い表すけど、そういうものがそれぞれ仕事をしているだけの場合でも必要なんだな・・・と痛感しました。
この「阿吽の呼吸」は、吐く息と吸う息のこと。サンスクリット語では「阿」が12母音の最初の音で、「吽」が最後の母音らしいけど、そういう意味では、日本の五十音の最初は「あ」最後が「(う)ん」。
サンスクリット語が古代語でアジアで広く使われていたらしいから、日本も勿論影響を受けたでしょうね・・・。
最初と最後の音なので、宇宙の始まりと終わりを表すらしいですが、生と死を表していると聞いたことがあります。
まぁ、広い意味で同じような意味なのかな? とは思いますが。
そこから、対のモノを表すようになり、狛犬や金剛力士像などに使われるようになり、転じて二人の人が呼吸を合わせるように行動している様子を表すようになったようです。
で、今回ですが、普段は一人で仕事をしていますが、時々二人になります。組み合わせは色々で、毎回別の人の場合もあれば、同じ人とする場合もあります。
この三連休を新人さんと仕事をすることになり、特に何も思わずに最初は仕事をしていたのですが、途中からお互いの呼吸がかみ合わないことにイライラしてしまいました。
今までは、それぞれがそれぞれの仕事をきっちりすればいいや。。。と思い、そんな感じで仕事をしてましたけど、今回のことがあって、なんとなくですが、息が合ってくれば割と楽しく仕事ができるのではないのかなぁと、ちょっと楽しみに感じたのですが、そんな風に思うのは初めてなので、今後が楽しみになりました。
したことのない経験って、前向きなものであれば、幾つにになってもいいものだと感じました。
なんと!年始に奇数日アップを目指す!なんて言っていたのに、気がつけば・・・・
あ・・・、途中、何度も気になっていたけど、どうしても手付かずになってしまったこのブログ。
やはり、自分にとって手一杯の出来事が起こっていると、精神的にも余裕ができないのね・・・と思う今日この頃。
なぜ書く気になったのかと言えば、人とのコミュニケーションて難しいと思ったからかな。
超能力者のように、相手の考えていることが100%わかれば、会話の中で起こる勘違いや、説明不足も解消できるのにって思う(^^);
以心伝心なんて言われるけど、本当にできている人っているのかな?
長年連れ添った夫婦は以心伝心でわかるなんて言うけど、相手の癖と習慣と、相手に対する諦めがそう言わせてない? なんて思ったりした。
以心伝心・・・・心を以って、心に伝う。と読むらしい。
「仏語。仏法の奥義を、言葉や文字を借りず師の心から弟子の心に伝えること。」とある。
師の心から弟子の心に伝える? 言葉を使わずに? どうやって?
だから、以心伝心か・・・
と妙に納得したりして。
席巻
と書いて、「せっけん」と読むのよね・・・・。
知らなかった。。。。。
ずっと、「せきまき」だと思ってた。
だいたい、あんまり「せっけんする」なんて、使わないから言わないし。
本には出てきたけど、前後の意味からどういう意味か分かるし。
ということで、ずっと「せきまき」だと思ってたんだな・・・・。
そういうこと考えると、そう言えば「流石」という字も、どう読むのか知らなかったんだな・・・。
字の意味を考えると、石っころが流れるイメージになるので、スムーズだね・・・なんて意味かと。
ドンピシャではないけど、褒め言葉だろう・・とは分かるし。
日本語は、漢字と平仮名とカタカナの三種類。
熟語の読み方がわからなくても、漢字の意味がわかれば何とかなる。
三種類の文字を使いこなす民族は、多分他にいないんじゃないの?
器用な日本人ですよね・・・。
「やまとうたは ひとのこころをたねとして よろずのことのはとぞなりける」
「大和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなりける」
これは、古今和歌集仮名序の冒頭分で、
「世の中すべての事象を歌っている。ただ言うだけで天地を動かしたり、目に見えない鬼神も哀れだなぁと思わせたり、男女の仲を和らげたり、勇ましい武士の心を慰めるのは歌なんだよ」
なんて事が書かれています。
この「万の言の葉とぞなりける」の部分から、言葉と言う字が残ったようですね。
それまでは、「言羽」なんて字も使われていたり、「詞」でことばと読んだり。
「言羽」と言う字には、ちょっとそそられます。
自分の言ったことが、ふわふわと羽が生えたように漂って、思う人の心に届きますように。。。。。
なんて意味が込められていたんでしょうか?
こちらの方が、このサイトの趣旨に合っているように思います。
「初めて」「始めて」
?????
この違いは?
では、まず「年始」とは、年が始まること。
で、「年初」は、年の初め。
「初」と「始」を使う時はいつも迷う。
調べてみると、動詞の場合が「始」で、副詞の場合が「初」。
副詞と言われても・・・・。
なので、動詞として使う場合は「始」と覚えれば私の場合はOKかな?
「年始」が、「年が始まること」という説明が記載されていることは、それなりに意味があるんですね。きっと。
「年の初め」だと、動詞にはなってませんもんね。
2015年になって、明日で二十日が過ぎます。
お正月って、なにかと慌ただしいものですね〜。
あけましておめでとうございます。。。。って言うには、もう遅いですが。
年賀状は、二つのフリー画像とある写真から切り取った羊を組み合わせて作りました。
今年も、奇数日毎回アップを目指して頑張ろう。
英会話を勉強しようとやってはいるけど、なかなか時間がとれなかったり、一方的に聞くだけだったりするので、
最近、アメリカ人とメールのやりとりをするようになりました。
最初はアメリカ人なんて知らず、住んでいるところがシドニーだったので、オーストラリアの人だろうと思っていたら、
アメリカ人だっただけですが。
このメールのやりとりが、結構面白い。
幾つかの質問が来たりするけど、解読するのに時間がかかったり、自分の考えなんかを英語にするのに時間がかかったりして、全部の質問に答えられない。
一度、答えてくれないと、文句を言われた。ので、まだ無理なんだと言い訳をしておいた。
ちょっと慣れてきたよね・・・・なんて思っていたら、メールの内容が濃くなってきて、文章も長いし、疲れる。
彼らは、学校で習ったように必ずしも大文字から始めないし、どこで切るのかもわからないほど文章を続ける。
だらだら文章が続いている印象を受ける。
でも、なんとなくわかってきたのではないかなぁ・・・と思ったりして。
遅々として進まない英会話の学習ですが、とにかく続けないと意味がない!