「やまとうたは ひとのこころをたねとして よろずのことのはとぞなりける」
「大和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなりける」
これは、古今和歌集仮名序の冒頭分で、
「世の中すべての事象を歌っている。ただ言うだけで天地を動かしたり、目に見えない鬼神も哀れだなぁと思わせたり、男女の仲を和らげたり、勇ましい武士の心を慰めるのは歌なんだよ」
なんて事が書かれています。
この「万の言の葉とぞなりける」の部分から、言葉と言う字が残ったようですね。
それまでは、「言羽」なんて字も使われていたり、「詞」でことばと読んだり。
「言羽」と言う字には、ちょっとそそられます。
自分の言ったことが、ふわふわと羽が生えたように漂って、思う人の心に届きますように。。。。。
なんて意味が込められていたんでしょうか?
こちらの方が、このサイトの趣旨に合っているように思います。
「初めて」「始めて」
?????
この違いは?
では、まず「年始」とは、年が始まること。
で、「年初」は、年の初め。
「初」と「始」を使う時はいつも迷う。
調べてみると、動詞の場合が「始」で、副詞の場合が「初」。
副詞と言われても・・・・。
なので、動詞として使う場合は「始」と覚えれば私の場合はOKかな?
「年始」が、「年が始まること」という説明が記載されていることは、それなりに意味があるんですね。きっと。
「年の初め」だと、動詞にはなってませんもんね。
そろそろ年賀状を考える季節になりました。
年賀って何も考えずに使っていたけど、どういう意味?と今頃不思議に。
「賀」という字は、やたらと格式張った堅苦しい感じのする字だと思っていたけど、
これって、「喜ぶ」とか「祝う」なんて意味なんですね。
必然的に「年賀」となると、「年を祝う」って事になります。
そうなると「賀正」だと、お正月を祝うって事だし。
いつも調べて納得するのだけど、結構知らずに使っている言葉って多いですね・・・・
竹に合う。。。で、答え。
なんで竹冠なんでしょう?
「合」は、器に蓋をしている様子。
で、「答」を利用する前は、「合」と言う字で「こたえる」と読んでいたようなのですが、次第に「答」を使うようになったとのこと。
で、この「竹」ですけど、「竹製の器に蓋をする」ということなのだそうです。
器にぴったり合った蓋。
サイズがあっていなければ、ちゃんと蓋は出来ませんから。
ということで、問いに対してぴったり合ったのが「答え」
竹冠はちょっと意外でした。
「ひかり」という言葉ですが、なかなか綺麗な言葉だと思っているのは、きっとそのイメージのせいなのかな?
そんな事言うと、他の言葉でもそうですけど。
この「ひかり」ですが、太古の昔は電気なんてないので、日没以降、太陽の代わりをするもの=日の代わりをするものとして、日を借りるなんてところから「日借り」、そして「ひかり」と言われるようになったとか。
なるほど、日を借りてる訳ね。
と思いつつ尚も調べていると、何と「ひかり」の語源説は10種類もあるんですね。
で、漢字の「光」ですが、こちらは「人の頭から光が射している状態」を表しているらしい。
こちらも諸説あるようですが、人を照らしてあげるといったイメージの説がいいな。
驚いたことに「爽やか」は、俳句の世界では秋を表す季語。
てっきり、春先とか、緑が多くなって気候のいい頃の季節を現すのに使うのだと思ってました。
と言っても、俳句の世界では・・・ということなので、別に、俳句に関係ない私としては、好きな時に使えばよい!
と言う事になります。
「爽やかな人」って言うと、明るくて、にこやか。話し方もさっぱりしている人って感じでしょうか?
決して秋を感じる人では無いですね。
秋っぽいというと、もの憂げだったり、暗い感じだったり。
季節で言うと、やはり春でしょう。
この「爽やか」という字ですが、「大」に「メ」か「×」が左右に二つずつ。「メ」か「×」は、いろいろ諸説あるようですが、
①左右にきっちり分かれている状態で、そこから「割り切れる」とか「さっぱりしている」。そして「爽やか」。
②「袂の長い衣を着て舞っている姿」から、「美しい」で、「爽やか」。
③「メ」か「×」が四つは、囱(高窓)を省略した形。窓には、「あきらか」という意味があるようで、「人」と一緒になって「爽やか」。
ちょっと驚いたのが、「囱」には、傷つくという意味や、違反すると言う意味があるようで、「爽約」と書いて、意味は約束に背く事です。
「爽やか」なんて字を使いながら、そんな意味の言葉があるなんて、ホント驚きです。
「止」に「少」を書いて「歩く」。
歩き続けるのもいいけど、少し止まってもいいんだよ・・・
相田みつをさんみたいですね。
止は、足跡そのもので、昔は足の意味で使われてましたが、停止の意味に使われるようになったので、別に足という字が生まれたようです。
歩は、両足の足跡を表した漢字。
実際には、左右対象の「止」を書かれた字が、今の「歩」と言う字になったのですね。
でも、最初の意味のように
「歩き続けるのもいいけど、少し止まってもいいんだよ・・・」
なんて、ちょっと気がほっとする意味合いですね。
寝不足だな・・・なんて思って、ふと疑問。
満足する時には、満ち足りる。なぜ、足?
不足も同じ。
元々、「足」は、モノの本体についているもの。
継ぎ足したものの意味から、「足」が足りる、足りないへと変化した。
と言う事らしい。
言葉は生き物。
時代とともに変化するので、本当の所は分からないけど、今のところそう言われているようです。
お洒落と言えば、垢ぬけていて、かっこいい感じの事を言うけれど、感じにすると「酒」に「落」の組み合わせ。
お酒飲んで落ちて・・・なんて考えると、場末の匂いがぷんぷん。
でも、多分、どの時代でも、お酒を飲む場所に集まる女性って、絶対お洒落していたに違いないから、「酒」に「落ちる」という字もあながち的外れでは無いかも・・・・????
で、調べて自分で笑ってしまった。
「酒落」は、漢語「しゃらく」からで、「心がさっぱりして物事にこだわらない」ことを指しているらしい。なので、やはり当て字ですね。
意味的には、「晒される」が「長い間風や日光に当たっていると白っぽくなる」。「戯る」を「さる」と読んだみたいで、これは「たわむれる」。
ここから、「洗練された」とか「しゃれて趣がある」という流れのようです。
何となく歌を聞いていたら、「息も止まるほど・・・・」なんて歌詞が聞こえて来て、ふと思った。息ってなんでこんな字?
まず「息」と言う字は、「自」と「心」の二文字。「自」は元々「鼻」を表した象形文字。自分を指す時に鼻に指を当てるから、自分を表す字になり、後に「鼻」という字が作られたとある。日本では、自分を指す時に確かに鼻に人差し指を当てる仕草をするけど、アメリカ人なんかは胸に手を当てたりする。中国人は日本と一緒で鼻に指を当てたんでしょうかね?
「心」は心臓を表した象形文字です。
これ以上は深く追求しなくても何となくイメージ出来ます。呼吸と心臓ですもんね。
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