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勘違いのネアンデルタール人

「はじめてのことば」で、ネアンデルタール人の咽喉の構造がホモサピエンスと違ったために滅んでしまった・・・みたいな事を書いたのですが、この説は既に古かったんですね。。。。。。ホモサピエンスと同じくらいに話す能力は持っていた!と言うのが、最近の通説らしいです。さらに人類の祖先と異種交配していたとも考えられているそうです。

約6万年前、アフリカを出た人類の祖先は、すでにヨーロッパにいたネアンデルタール人と出会い、交配したというとなのですが、現在ではネアンデルタール人は絶滅したことになっています。素人考えですが、融合したってことはないんでしょうかね?
それと思うんですが、人類の祖先とネアンデルタール人が出会った時、種が違うなんて思ったり・・・きっとしないでしょうね?

少し前までは、ネアンデルタール人と言えば、野蛮で粗野なイメージでしたけど、今では、ホモサピエンスを殆ど変わらない種だったようだと考えられています。
一時期はホモサピエンスと共に生きたネアンデルタール人は、いったいなぜ滅んでしまったのでしょう?

共に生きていたのであれば、生き残るための知恵も共有していたと思うのですが。
歴史の中で生き残るということは、現代の私たちが思うほど簡単な事では無かったのでしょう。

サイトのテーマとはかなり違った内容ですが、喉の構造が違ったことが原因で絶滅してしまったと思っていたネアンデルタール人が、人類とそう変わらない生き方をしていたと知って、訂正の意味も込めて書いてみました。
彼らの信じていた宗教や死生観、人との交流なんかが理解できればいいな・・・・なんて、今では思っています。

習慣

とりとめもなく言葉が書きたくなったら、とりあえず、心の中に閉じこもってみる。
言葉となる映像や画像が浮かんでくるかどうか。
HDDの中を探しまくるような感じでしょうか?
何も出てこなければ、別のフォルダの中を探しまくる!

次から次へと繰り返し、心に響くシーンを見つけたら、言葉が溢れるまでまってみる。

もう、長い間繰り返してきた、これが習慣。
目の前に流れる映像や画像は、自由自在に色んな角度から見ることができるし、何度もリピートできる便利な機能付き。
数枚の写真を使うこともあれば、1枚の時もある。長い映像だと、小説になったりして。

子供の頃は、毎日ノートを広げ、心に浮かんだ言葉をひたすら書いていたように思う。
だから、読み返すとある時期には同じような内容ばかりということも。

ただ、特殊な才能を持っている訳ではないから、こういうことが積み重なって、1冊だけど本になったり、こんな風なサイトを作ってみようと思えたのだと思う。

習慣というか、続けるって、何かの結果を残すことの出来ることなんでしょうね!

言葉と宗教

この間、インドヨーロッパ語族のことについて読んでいたら、ちょっと目からウロコ!

インドヨーロッパ語族の分布。現在の殆どがインドヨーロッパ語族に属するわけですが、世界の三大宗教と言えば、キリスト教、ヒンズー教、仏教。これらは、インドヨーロッパ語族が発祥の宗教。
戦いで領土を広げると、当然宗教も戦勝国の宗教となり、同時に言葉も拡がったことは容易に考えられます。が、ちょっと検証。

インドヨーロッパ語が生まれたのは、早くても8000年くらい前のようで、キリスト教が生まれたのは2000年前。ローマ帝国が生まれた時期と同じ頃。それまではローマ神話の神々に祈りを捧げていたローマ帝国にキリスト教が浸透。ローマ帝国ではいくつかの宗教が公認されていたようで、キリスト教も公認となり、さらに帝国内にキリスト教が広まったと思われます。

古代エジプトの一番古い文献が紀元前3600年頃だということなので、今から5600年くらい前になります。古代エジプトで使われていた言葉はアフロアジア語族に属する言葉。当時は中東からアフリカ大陸で使われていた言葉ですが、現代の分布を見ると、アフリカの多くの国でインドヨーロッパ語族が公用語として使われています。
アフリカ大陸では、インドヨーロッパ語族とアフロアジア語族の領土的戦いというより、権益の問題により・・・というのが原因でしょう。もちろん宗教も浸透していきます。

アラビア語もアフロアジア語族に属する言葉ですが、キリスト教の後に生まれたイスラム教を信仰しています。ローマ帝国との攻防などが原因でしょうか? 同じユダヤ教から生まれた宗教ですが、争いの絶えない宗教となってしまいました。

アフロアジア語族には、アッシリア語、アッカド語、ヘブライ語などがあります。アッカドでは楔形文字を利用していましたが、インドヨーロッパ語族のヒッタイトでも楔形文字が使われていました。すごく簡単に言うと、日本と中国の関係みたいなものでしょうか? 日本で漢字は使うけど、言葉は違う・・・みたいな。
仏教は漢字と共に入ってきたのでしょう。キリスト教も後に入って来ますが、日本人にはあまりにも馴染みがなさすぎたのか、かなり中途半端な入り方。日本にも勿論キリスト教信者はいらっしゃいますが、宗教をばかにしてるのか?という感じの日本人の良いとこ取りは笑えます。

宗教の話でいくと、日本は多神教。八百万の神々ですから。多神教と言う事なら、ギリシャやローマも多神教。どういう流れかは知りませんが、古事記を読むと、オルフェウスとエウリディケとそっくりな話が出てきたりします。シルクロードを通って日本の神話に組み入れられてのかな?なんて適当に思ってますが、こういうのを調べるのも面白そうです。

宗教が違うと相入れないのか、言葉が奪われると宗教も消滅して行くことが多いように思います。今、複雑な立場にいるのが、アメリカ大陸やオーストラリアの先住民の人たち、さらに身近な所では北に追いやられたアイヌの人たちではないかと思われます。彼らの言葉は失われようとしていますから。

言葉と宗教なんて大それたタイトルで、調べれば調べるほどおもしろく、また別の機会にゆっくり調べたいと思った次第です。

ことばのイメージ

外国語を聞くと、日本語とは勿論発音とか全然違うから、意味もわからないので、なんとなく雰囲気で何語だと判断します。あ、私の場合は。
で、言葉のイメージそれぞれ。

英語・・・・・合図
フランス語・・・・・鼻から息が抜ける
ドイツ語・・・・・・濁音付きフランス語
ロシア語・・・・・・ドイツ語のローカルバージョン
イタリア語・・・・・語尾伸びすぎ言語

こんな感じ。
英語は、学生の頃に習った影響だと思われます。
行く、行け、行こうが三つとも「go」だし、泣くなも泣かないでも「don’t cry」だなんて・・・と思っていたので。

フランス語は、ラテン語の継承者みたいに思っているので、時代を感じさせる古き良き言葉なんてことも思っていたりします。
これらの言葉はインドヨーロッパ語族ですが、その中でもロシア語以外は、ケトゥム語群に属しています。ドイツ語と英語がその中でもゲルマン語派。ここでフランス語とドイツ語は分かれるんですね。英語もドイツ語も知っている人に言わせれば、似ているのだそう。わたしには前述の通り、濁音付きフランス語にしか聞こえませんが。
鼻から息が抜けるような話し方って、きっと気候とも関係してくるんでしょうね。音を響かせる場所が、フランス人は鼻とか目と目の間。英語は喉。日本語は胸、と聞いたことがあったと思います。フランス、ドイツ、ロシアなんていうと寒い地域なので、冷たい空気がハイの中に入らないように・・・・・みたいな感じだったのかもしれないですね。

アジアの言葉は、あんまりなじみがないので分かりませんが、こちらはどちらかと言えば、鼻にかかるような発声に聞こえます。

それぞれの地域で言葉が発達していく過程で、発音や発声が独特なモノになって行ったのかと思うと、面白い。
英語圏でない人たちが話す英語って、母国語に似てますもんね。
いつも話している日本語は、世界の人から聞くと、どんな風に聞こえているのでしょうか?

書き言葉と話し言葉

書き言葉と話し言葉が違うのは仕方ないかな・・・とは思うのですが、これはどうなの?と思うのが、国会の法案とか、憲法とか。
昨日もニュースで、秘密保護法だかのニュースをやっていたけど、その法案の意味が分かりづらいから、説明してもらいましょうと、文章の説明が始まった。
確かに分かりづらい。

こういうのって、その時代に合わせて書くってしないんですかね?
日本人が読んで分からない文章なら、せっかく書いて残しても意味がないし。大人が子供に説明出来ない文章っていうのもおかしいし。
話し言葉が時代とともに変わるように、書き言葉ももう少し早いスピードで一般日本人につい来てもらえないでしょうか?

言葉って難しい

ある日、量販店での会話。
お客さん「DVDってどこ?」
店員さん「DVD・・・・・何に使われますか?」
お客さん「えー、DVDって言うんじゃないの?」

会話になっていない所が可笑しい☆
まあ、USBはどこ?って聞かれたら、USBメモリかな?って思うけど、DVDどこ?って聞かれても、ちょっと困るかも。
録画とかデータ保存する空のDVDなのか、映画とかが見られる既に記録されたDVDなのか。
TSUTAYAなんかだとどちらも置いてあるけど、家電量販店だと映画とかのDVDを置いているところの方が少ないだろうし。
で、結局、その人が何を探していたのかと言えば、ポータブルDVD。

「見るやつ」なんて、お客さんは言ってたけど、DVDプレーヤーもDVDレコーダーも、DVDドライヴも可能性あるし。
店員さんがいろいろ聞いて、ようやくお客さんが「小さいテレビついてて・・・」と言ったところで一件落着。
家では多分、「DVDのやつ、見てくる」なんて会話して出てきたんだろうな、なんて思うと面白い。
言葉不足、説明不足、認識不足の重なった出来事でした。

言葉は生き物

もし、言葉に変化がなければ、今も平安時代の人達と同じ言葉を話し、文章もきっと研究なんてしなくても読めるから、国語を習うだけで、古文も漢文も習う必要なないはず。
言葉は本当に生き物のように変化していく。数十年生きただけでも、使われなくなった言葉を思い出すことができるし、最近使うようになった言葉もある。
最近良く言われるのが、「ら抜き言葉」。「見られる」が今の所正しいと言われているけれど、「見れる」と言う人のほうが多いのではないかと思われる。

さらに言えば、「難しい」を「ムズい」と言うし、「恥ずかしい」を「ハズい」なんて言う。
これが、今後残っていく言葉なのかどうかは分からないけれど、言葉って、おそらく今までも同じように変化したり、戻ったりを繰り返しつつ、その時代その時代の日本語を作ってきたんでしょう。
どの時代も、若者言葉が言葉の変化に大きく貢献しているのでしょう。文字にする言葉より、話す言葉の方が先を行きますから。

いまどき、「かくのたまうは誰ぞ?」なんて聞き方しませんよね。「こんな風に聞くのは誰?」って事ですが。
吾輩は猫である。あまりにも有名ですが、今、自分の事を吾輩と呼ぶ人はいません。

中国から漢字が入ってきた頃は、大きく言葉も変わったのではないでしょうか?
現代の日本で外来語が普通に日本語として使われているのと同じような感じで。
タオルとかハンカチを、もともとの日本語で言おうなんて人はいないと思います。が、例えば、「ディテールが知りたい」なんて言うと、「詳しくはこちらを見てください」なんて、分かりやすく日本語で返事をしたりします。ディテールという(日本語英語の)言葉が、まだ浸透していないせいです。

とは言え、日本語英語の多いこの頃。英語を話す人たちには通じないアクセントだったりするのですが、英語を使うのがおしゃれだと思うのか、やたらと日本語英語で話す人はいますよね。どのくらい普及しているのか確認しつつ、話してもらいたいものです。

今後、どのように英語が日本語に入ってくるのか分かりませんが、今よりももっと利用する頻度が高くなる事は間違いないでしょう。で、後世、日本語の研究家が言う訳ですよ。この時代はアメリカとの関係もあり、日本語の中に英語の要素が多くなった時代だって。

日本語の起源

今、世界で主流なのが印欧語=インド・ヨーロッパ語族。
ヨーロッパ人は、文法なんかが殆ど同じなので、2~3ヶ国語を話せるのが普通らしい。一時期は(今もかな?)ドイツ語が話せると食いっぱぐれがないくらいの事を言われていたと思う。出来れば、ドイツ語かフランス語。
で、なぜ、日本人が外国語を話せないかと言えば、日本語の母音は五つしかないし、子音も少ないから、なかなか聞き取れない。特に、RとLの違いがないから、聴きとるのが難しい。勿論、慣れれば聞き取れるようになるけれど。ただ、今までは日本国内で英語が必要だった事もないから、聞き取れる前にやめてしまっている事が大半ですよね。

RとLが聞き取れない!

印欧語が生まれたのは、5~6000年ほど前と言われています。
人類の言葉は、約10万年前には生まれていて、5万年前に大きく発達したらしい。と言う事なら、印欧語なんてつい最近生まれた言葉って事になる。言うなれば新興宗教ならぬ新興言語。
ある方の説では、日本語が生まれたのは3万年ほど前。と言う事なら、印欧語より、日本語は古い!と言う事になる。今の印欧語が世界を席巻きする前から日本語はあったけれど、やはり極東!影響を受けにくかったって事は、大いにあり得ます。

日本語の生まれがどこなのかは、もう分からなくなってしまったけれど、「印欧語よりも古い言語の生き残り」と思えば、なんとなくひとりぼっち感も薄らぐような気がします。

【注意】いろんなモノを斜め読みし、自分なりの感想が入っているので、事実と異なる事は大いにあります。

言葉を交わす

kaiwa

一人で仕事をしていると、勿論はかどる事もあれば、誰かの顔色をうかがう必要もないし、案外気楽。自分に都合のいい部分もたくさんあるけれど、落ち込んでいる事に気付かない事もある。
実際にはテンションが下がっているのに、一人でいることが普通だからいつもと同じように行動しているつもりになってしまって、結果の出ないことにあせる・・・みたいな事が出てくる。

やはり味方だけでなく、同じ側に立つ人と言葉を交わす事が大事だと思うようになった。多分、仕事の話だけではなくて、些細なことを電話なり、今ならLINEなりでやり取りする。
自分のことを理解しているはずの人だから、顔を見なくても、直接仕事の話でなくても、なんとなく頑張ろうという気持ちがいつもより強くなる。ということに気づいた訳。

結構自分は強いんだと思っていても、結果を見ればわかる事。
強がるなんて事をしているつもりはないので、なんとなく「あれ~?」と思ったら、分かってくれそうな人と話をするようにしよう!

自分への言葉

海外ドラマで「メンタリスト」というドラマがある。それを見ていたら。主人公のパトリック・ジェーンが言った言葉があります。

「私は、棒や石では傷つくが、言葉では傷つかない」

強いなぁ・・・・

人の心が傷つく時って、勿論いろんなシチュエーションがあるけれど、人の言った言葉で傷つく事が何よりも多い。
ある人から、こんな時に、こんな風な事を言われた。
それが嬉しかったのか、傷ついたのか。

些細な言葉が人の心に突き刺さる。
自分がそんな風に受け取るために、その人が言っていなくても。
最近知り合った人から、時々メールが来る。
冗談なのか、起こっているのかが分からない時がある。
間違って誤解して、対峙し合うのはもったいない。
傷つけられたと思いこんで、暗くなるのももったいない。

そうそう、ある人が言っていた。
自分を褒める言葉は、自分が一番たくさん言えるんだよと。