「徒然」カテゴリーアーカイブ

メダルよりも欲しいモノ

ソチ五輪。女子フィギュアスケート。浅田真央選手は総合六位。

ショートプログラムで、ジャンプをすべて失敗すると言う、浅田選手だけでなく、世界中が呆然とした昨日。嘘であってほしいと願ったのは、本人だけではないはず。

見ている方が落ち込んだり、フリーはどうなるのかと考え込んだり。そして、何よりも、フリーの演技が終わった後に浅田選手の笑顔が見たい思い、他の事なんてどうでもいいから、自分の事だけ考えて、自分の納得できる演技をしてほしいと、痛切に思ったのは、やはり見ていた人たち。
ツイッターを見ると、そんな世界中の人たちの気持ちが良くわかります。

でも、誰よりも、浅田選手が強かった。

今、女子フィギュアスケートの世界で、ただ一人トリプルアクセルを跳べる選手。そのトリプルアクセルを見られた事が嬉しい。浅田選手にしか出来ない演技を見られた事が嬉しい。
浅田選手のフリーの演技には、何の言葉はいりませんね。こちらも、ツイッターで世界中に人たちがつぶやいてますから。

勿論メダルはあった方がいいけれど、それよりも何よりも、浅田選手自身が「自分のやりたかった演技ができた」と言い切れた。それが今は何よりも嬉しいです。

万感の思いを込めて

ソチ五輪。男子フィギュアスケート。高橋大輔選手最後の五輪は総合六位。

彼の王者たる所以は、決していい訳をしない事。起こったすべてを受け入れる器を持っている事。もしかしたら、時には受け入れ難い事だってあったに違いないけれど。

今回のソチは、高橋選手にしては考えられない順位ではあるけれど、その悔しさを胸に秘め、彼は言う。「これが、今の自分の実力」
見ている者でさえ悔しい思いが募ると言うのに。

2005年12月に行われた全日本選手権での、本田武史選手との新旧交代劇は劇的で、それ以来、日本の高橋から世界の高橋へ。
本田選手から高橋選手に渡されたバトンを持って、一人ひた走った八年間。今そのバトンは、高橋選手の手を離れ、羽生選手へと渡っていった。

多くの感動を与えてくれた高橋選手に別れを告げる時・・・。

石の上にも三年

石の上にも三年。これは、冷たい石の上でも三年も座っていれば暖まるだろうと言った意味合いですが、苦しくても辛抱すれば報われる。
また、忍耐強くあれ! みたいな事です。

三年というのは、長いんだぞ!という事。ちなみに800は多いことに使われます。八百万の神とか。実際には八百万の神様はいませんが、たくさんいるんだぞ!って事で使われます。

三年ですが、結構きりのいい年数ですよね。中学や高校も三年だし。
何かを始めたら、モノになるのに最低三年くらいはかかるような気がするし。私だけですかね? まぁ、そんな風に感じているのは事実で、それもあって、今年のテーマは「飛躍」です。
目的があってやり始めた事も三年が終わろうとしています。ゼロからのスタートだし、うまく行く事も、勿論行かない事も。どっちを向いているのかも分からない時もありましたが、結局何をやっていても、目的に向かってやっているという事が最近良くわかりました。やって来た一つ一つを見ると、目指している物とは違うんじゃない?なんて感じる事もあるけど、俯瞰してみると、全体の進む道はちゃんと一つの所に繋がってる訳です。

例えば、歌手の仕事は歌を歌う事ですが、歌うだけではなくて、コンサートをやり遂げる体力作りも必要だし、声を出すのに腹筋だって必要。それに歌うための技術とか。

そんな感じで、この三年は、歌手として歌を歌うための土台造りをして来たような気がする。
去年の終わりに、何となく、やるべき事は十分やって来たから、次の段階へ進もうと思えた。勿論手を抜いていいという事ではなくて、やり続ける必要のある物はちゃんとやり続けて。腹筋をやめたら声が出なくなるのと同じ。
どんな風にジャンプできるのか分からないけど、ポン!っと地面を蹴飛ばして、ちょっと高めの一段にジャンプしたい。
今年は必ず飛躍の時だから!

2月

2月と言えば、今年はオリンピック。もう間もなく本番です!

2月ですが、「如月」とも書きます。「きさらぎ」と読みますが、衣(きぬ)を更に着る月なので「衣更着」というのが一説。「衣」の部分が「絹」になる説も。他に、草木の芽が張り出す月なので「草木張月(くさきはりづき)」、前年の旧暦八月に雁が来て、更に燕が来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」⬅ややこしい、陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」など説はいろいろ。

きさらぎ。奇麗な音です。

「如何」と書いて「いかが」。「如何」と書いて「どう」。こうして見ると、「如月」は「どんな月?」と聞かれているような気がしなくはない。でも、あまり意味らしい意味はないみたいなのでちょっと寂しい。

今年の目標

もう一ヶ月も経って遅いのですが、今日、意外にも今年の目標を書く機会があったので、確認のために。

まず、今年は「飛躍の年にする」という事。
そのために、年賀状にも「飛躍」の文字を入れました。

やりたい事は、他人との共同作業。例えば、このサイト。絵心の無い私は、イラストなんかを入れるのが苦手。ブログの部分は、まぁ、どうでもいいけど、ポエムの部分とか、デジタル絵本なんかは、私ではとてもではないけど絵が入れられません。
ということで、絵を入れてくれる人を捜そうという訳です。都合よ過ぎ? 今のところ、デザイナーとサイトをいくつか立ち上げようとしているのですが、それはそれ。これはこれ。個人的に作っているサイトに絵を入れてくれる人が必要な事を痛感しています。
なので、いろんな人との共同作業をやってみたい!

それによって手に入れたいものは、もちろんお金は欲しいけれど、とにかく「時間」。雇われの仕事に時間を取られるのではなくって奴です。
自分で自分の時間を制御できる人になりたいから。
もし、時間を手に入れる事が出来れば、自分はとても豊かだと思います。

Macのpages

今まではずっとwindowsを使っていて、小説を書く場合はWordを使っていました。別に使いやすかった訳ではなくて、他に使い勝手の良いものが無かっただけです。

今まで使って、使い勝手がいいと思ったのはページメーカー。といっても、ページメーカーを使っていた頃は、小説を書いた事はないし、あの頃は議事録を作るのに使っている事が多かったかなぁ・・・。だいたい会社で使うソフトだったし。

小説を書くようになって、Wordを使ったけれど、まぁ、定番。ページ送りが面倒だな・・・というのが本音。ちゃんと調べれば使い勝手のいい使い方があったのかも知れないけど、必要性を感じるのは書いている最中だし、それもページ数が増えて来てって時だから、書く手を止めて調べている時間もない時です。過ぎてしまうと、また今度・・・なんて思ってしまうし。

で、最近Macに変えてしまおうと思い、今も使っていますが、小説を書くのにiBooks Authorはすごく使いやすい!と感動して、書いていたのですが・・・・重いんですかね?
300ページくらいになると、動かない!
縦書きも、横書きも!

あ、iBooks Authorの縦書きって、文字は横書きで用紙が縦にスクロール出来るって奴です。

あるとイメージしやすいから写真を入れたけど、三枚だけだし。文字消すのにどんだけかかるの? と腹が立ってくるくらいに動かない!
iPadにプレビューするくらいにしか使えないみたい。
なので、今はpagesを試している所。ただ、今まであった機能が全部まだ使えないみたい。ページのサムネイルは気に入ってますが、この部分は今の所サムネイルされているだけ。今後に期待。iBooks Authorのような使い方が出来れば、私は何の文句もありません。

心が折れる

そう。心って折れます。ホントに。今年に入ってから、折れてばっかり。だから、一喜一憂しない!なんて、今年の目標に掲げたのですが・・・・。

今年は、飛躍の年にする!と、年賀状を作る時から考えていて、年賀状にも「飛躍」の二文字を入れました。が・・・・

飛躍どころか、心、折れてばっかりじゃん!

困ったもんだ。心が折れると、連絡を取りたいと思っている人でも、遠い存在に感じるし、心が折れたまま連絡するなんて悪いしな・・・なんて、何でもかんでも後ろ向き。

こういうとき、他の人たちはどうしてるんでしょうね? ま、私の場合は、心折れても、一部分だけ。別の部分は別の事を考えて心が折れている場合ではない。という、馬鹿みたいな、忙しいような、ある人からは何本も持ってジャグリングしているみたいと言われるような、結構自分でも整理できないような状態が続いているので、心が折れていた事さえ忘れてしまう事もあるくらいだけど、思い出すとどんどん沈むよね〜。
さて、明日は浮上できるでしょうか??????

不安

不安とは、安心できない事。安定しない事。ただ、安定しない事なら不安定という言葉があるけれど、似ているようでちょっと違う。だからといって、全く違う訳でもない。
どちらかと言えば、不安定というのは、人の気持ちだけではなく、物事に使われます。

この「不安」という気持ち。今回、全日本フィギュアスケートを見ていて、恐ろしいものだな・・・と感じました。

高橋大輔選手のファンなのですが、あんな高橋選手を見たのは初めてです。トリノ後は、一人、全日本男子を背負ってきた感のある人だし、いつも見ている人たちの期待を裏切らない演技を見せてくれると思っていたにも関わらず、今回は惨敗。
原因は、怪我が治っておらず、練習が十分に出来なかった事。

アスリートには、十分な練習をしてきたと納得し、自分の出来る事がそのまま出せれば納得できるというレベルが人によっては満足のいく三位だったり、優勝だったり。
満足できる出来だったかどうかがとても大切だと思いますが、その前に、大切な事は、納得できる練習ができたかという点でしょう。
その練習が出来なかった不安が、高橋選手でさえ、あのような演技になってしまうのかと驚いてしまいます。
練習しか選手を支えるものはない・・・とは上手く言ったものだと思います。

怪我が早く治りますように。ソチでは、最高の高橋大輔選手を見たいと思います。

挨拶

朝、人に会った時、「おはようございます」の挨拶をするけれど、こちらから言わないと、言ってくれない人。姿を見つけると、「おはよう」と声を掛けてくれる人。「おはよう」と言っているのに、首だけちょこっと動かす人。更には、聞こえなかったかのように振舞う人。中には、既に忙しくてそれどころではない人もいる。

朝の挨拶は、一日の始まり。言ってみれば、挨拶をした人との一日の始まり。気持ちよく過ごすためにも、朝の挨拶は明るく透き通った感じでしたいものです

上の空

文章を書くのに、いろいろと妄想していた時に、ふと、今、誰かに声をかけられたら、上の空で返事するんだろうな・・・と考えた。で、引っかかった。上の空? 「うわのそら」と読んで、「うえのそら」と書く。

それぞれを考えつつ、思いつくものと言えば、異様に高い空とか、空を見上げて・・・・ぼんやり・・・・。
よく分からないので、調べてみた。「心空なり」という言葉があるらしい。これは、「こころそらなり」と読むらしい。初めて聞いた言葉です。「空なる心」を強調するのに「上の空」が使われたとある。「こころそらなり」の意味を調べたら、「心が自分のからだから離れてしまったようだ。うわの空である」と書いてあるサイトがあった。これでは、「心空なり」と「上の空」は、同じ意味の言葉になってしまう。

「空なり」を調べてみた。「くうなり」で「それ自体には絶対的な実体がない」。
「そらなり」で、「心がうつろだ。上の空だ。」「いい加減だ。あてにならない。」などと出てくる。

出典古今集 恋五
「秋風は身を分けてしも吹かなくに人の心のそらになるらむ」
[訳] 秋風は人の体を中に分けいって吹くわけではないのに、あの人はどうして心がうつろになって冷たくなっているのだろう。

この内容を考えてみると、「うつろ」の部分を「空虚」、或いは、「空っぽ」と考えると、「くうなり」に通じるような気がする。「うつろ」も「空ろ」だから、結局意味は同じなんでしょう。

出典源氏物語 帚木
「『それ、しかあらじ』と、そらに、いかがは推し量り思ひくたさむ」
[訳] 「それは、そうではあるまい」と、いい加減に、どうして当て推量で軽べつするのであろうか。

こちらになると、「いい加減」という言葉が当てはめられているけれど、「そうじゃないと、何も考えずに、どうして当て推量で軽蔑するのだろう?」にすれば、「くうなり」に通じるように感じますよね。

で、最初に戻れました。何も考えていないような、空っぽな心を強調する「上の」を付ける事で、「空なる心」を強調したんだな・・・。