「徒然」カテゴリーアーカイブ

視野を広げる

特に忙しい訳ではなくても、何かしら追い詰められているような感じで、落ち着かない2ヶ月ほどを過ごしたら、最近は何気に・・・・・開き直ったのか、楽になったと思う。
数人と話をしたことも良かったかな?

 

そうしたら、一つの事だけではなくて、少し広げたイメージで俯瞰出来るような感じにもなってきた。

 

自分のキャパは、そうそう広げられなかったり、高い位置にいても追い詰められて俯瞰できなかったり。人には感情があるし、体力の問題もあるし、いつもいつも思うようにはならない。

 

ただ、やはり目標を持つこと。心が折れそうになっても踏ん張ること。
精神的にも体力的にもきつくなると諦めてしまいがちだから。

 

今思うのは、夢はあっても、現実とのギャップにため息しかでなかったけど、気付けば自分の夢には近づいてるじゃないかってこと。
勿論!うまくいくかどうかは分からない。
できていない部分は許してあげて、これから埋めて行けばいい。
ホント、気がつけば、自分の理想に近づいていた。

 

ベースになる部分でまだ足りないところはあるけど、今後どうすればいいのか分かってきた。
ベースが出来れば、あとは中身を詰めて行くだけ。

 

ということで、視野を広げて見てみれば、今はまだベースを作っている最中。
でも、あと一踏ん張り!
形が見えてきましたよ!

不信感

不信感は、いつ生まれるのだろう?

 

何となく感じるようになり、確信に変わるのか。

それとも、いきなり突然生まれるのか?

 

少なくとも、一方的な事を聞かされ続けると、ある時から疑問に思うようになる。

周りの人の話などから、辻褄が合わなくなってくるから。

信じる計りは、正義。

 

そこに正義があるのかどうか?

一体誰に正義があるのかどうか?

取り繕われた正義をまとった傲慢か?

 

その傲慢さで人を丸め込もうなんて、虫が良すぎる。

 

けれど、世の中を見ていると、その傲慢さが多くの人を動かしていると思えてくる。

時には、無関係の人のことばも・・・

競合他社の人だけど、なぜかとてもいい人だな・・・・と思っていたら、今日再び会う事が出来た。

「絶好調?」
と聞いてくれたので、静かに首を振ったら、
「大丈夫! 今月は!」
と言ってくれた。

なんとなく、嬉しくなる。

何の利害関係もなく、適当に答えてくれただけの言葉なんだろうけど、
その人の人柄か、性格か、
「声をかけてくれてありがとう」
て気になるんだな・・・・
お互いの立場に無関係だし、無関心だから、爽やかに通り過ぎた言葉の掛け合いなのかもせいれないな・・・

原爆ドームを訪れて

日本人なら一度は行っておくべきだと、ようやく原爆ドームを見に行きました。
思っていたよりも小さくて、ちょっと驚き。

どなたかが、原爆ドームは訪れるたびに小さくなりますね・・・と言われたのだとか。

街が繁栄し、高層ビルが建ち並んで行く中に原爆ドームがあるせいですが、それは、日本の平和を象徴している事だから、喜ばしい事です。

平和公園の中に今でも置かれている千羽鶴も、今の普段の生活では見る事のないものだから、「祈り」という思いがずっしりと感じられ、鐘の音に平和の願いを込めずにはいられません。

原爆資料館には胸が詰まります。
世界中の人たちが、ここを訪れるべきだと思います。
いつまで、私たちは兵器をを持ち続けるのかと。

また、原爆で辛い思いをした日本人が、なぜ福島の悲劇をまた再び見なければいけないのか・・・とも思います。

そして、これは決して私たち日本人だけの問題なのではないと痛切に思います。

未だ、地球上から戦闘はなくならず、内戦、テロ、弾圧に苦しむ人たちがいます。
人類すべての人たちが思っているはずの事は、子供たちが平和に暮らせる事。

なぜ、私たちは、それを放棄しているのでしょうか?

ことばが繋ぐ人との輪

素通りするより、会釈して。
会釈だけより、微笑んで。
ほんの少し勇気を出して、微笑みに言葉も足してみて。
人とすれ違う時、勿論知らない人に声を掛けるなんて難しいし、変に思われるからしない方がましかもしれないけど、以前、富士山に登った時の事を思い出した。
恐らく、街中ではなく大自然の中・・・・というシチュエーションに、同じ目的を持っているから・・という事もあるからか、どんどん登って、頂上がなんとなく感じられる頃になると
降りてくる人が
「おはようございます。もう少しですよ」
とか、
「こんにちは。頑張って」
と声を掛けてくれる。
高度もあるし、頭痛がしたり、息切れしながら登っている時に
それは、とても爽やかな笑顔と言葉で・・・・・
そんな風に街中で声をかけられたら、きっと変な顔してさっさと通り過ぎるのだけれど
初めて声を掛けてもらった時は、声を掛けてもらえたことが嬉しくて、
笑って会釈したと思う。
驚いて、言葉が出なかったようにも思う。
普通、生活している場所でこういうことってないけれど、なんとなく、なごやかに
こんな事が起こればいいな・・・・と。

自分が納得できるように

例えば、自分には合わないな・・・と思いながらやっている仕事。
合わないから、そう上手くいくはずがない。

で、逃げ道がある場合。

私には、こっちがあるから、この仕事はどうでもいいや・・・・と
なおざりにしてしまう事は簡単だけど、
合わなくても、逃げずにちゃんとやって、合わないなりの結果を出す。

でなければ、人に迷惑をかけるし、いつも逃げる事を考える人になるような気がする。
それに、逃げた事を自分が知っているので、自分にずっとマイナスを付け続けることになる。

どんな場合も正直に、誠実に、精一杯やってみる事。
結果が伴わなくても、自分に納得できることほどすがすがしいものはない。

スタートしたら・・・・

スタートさせたら、順調に進められるのかと思いきや!
いろいろ問題が・・・

歯車が噛み合わないって事なんでしょうか?

初めての事だから、ある事にどれだけの時間がかかるのかが分からなかったり、
思ってもみない待ち時間があったり、
いろんな事が重なって、時間が十分に取れなかったり、

こういうのを「わざとの法則」って言うんでしょうか?

スタートさせたら、
思いのほか、やる事が多かったり。
こんなことも出来る!と分かると、じゃあ、こんなこともやっておこう・・・とか。
これが出来るなら、あれも出来るんじゃない?とか。

まぁ、確認不足と言われるとそれまでですが(^_^;)

だって! 知らなかったんだもん!

そう! 知識不足と認識不足からくる無知ですね、これって。
でも、やらないより、やった方がましだと思っているような性格なので
戸惑いながらも、前進するのみ!

ですね☆

うまく行く時と、行かない時と

うまく行かないときは、誰かに頼りたくなったり、愚痴を言いたくなったり。

うまく行っているときは、ちょっと得意げで、人に自慢してみたくなったり。
で、そんな時は、人の心配をしてみたり、世話を焼いてみたり。決して押しつけとかではなくて、そんな時は気持ちに余裕があるせい。
だって、うまく行っていないときは、余裕が無いから人の事に目がいく事もないし、自分の事も満足に出来ていないのに、人の事に気を使っている場合じゃない!ってことなんでしょう。

恐らく多くの人が私みたいだと思うけど、そういう単純な性格が、余裕があると笑えてくる。
一喜一憂しないと言い聞かせるけれど、言い聞かせているうちは実現できていないと思う。

刺激惹起性多能性獲得細胞

刺激惹起性多能性獲得細胞

まるで漢文。読もうと言う気もなくなる漢字の羅列。これ、今、世間の注目を集めているスタップ細胞の事です。
英語だと「Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cells」。
英語も読めないけど、英語を略してSTAP細胞と読んでくれて、それが何かを説明してくれた方が、漢字を読むより簡単そうに感じるのは、私だけ?

というか、日本語があった事の方が不思議だったけど。

巷では大騒ぎの刺激惹起性多能性獲得細胞。

論文の書き方がどうこうとか、改ざんがどうこうとか、科学者ではない私には、結構どうでもいい話。どうでもいい・・・と言うのは言い過ぎか・・・・。小説なんかでも盗作なんて論外の話しだし。ただ、小保方さんは科学者なのだから、今後、論文の書き方を教えてあげればいいじゃないの!と思ったりして。

小保方さん一人が悪者にされて可哀想と思うのは、彼女が女性で、若いからでしょうか? 可愛いし。まぁ、その話は置いといて。

何よりも、何よりも、気になるのは、STAP細胞は本当に存在するのか? って事でしょう! 殆どの一般人が気にかけているのは、そこの所ですよね!
夢で終わってしまうのか? 発見まで、まだ時間がかかるのか? 永久に発見できないのか?

存在するなら、出て来てほしいですね★

さくら

奇数日に必ずブログを書こうとしてますが、よく見ると抜けてますね。すっかり忘れているって状態です。

本題。

今の季節は桜の季節。毎年時間があると、またその時間と桜の都合が合わないとダメですが、家の近くの桜を見に行きます。

sakura

最近は整備もされたりして、歩きやすくもなり、お花見もゆっくり出来るようになりました。
今年はいきなり咲いた感があって驚き、いきなり寒くなったのでもう散ってしまうかと思ったけれど、意外とまだ綺麗に咲いています。
で、ふと思ったこと。サクラを使って大入り満員に見せる!なんていいますが、なぜ桜?

wikiを見たら、サクラと書いて、括弧して「おとり」と書いてあった。
おとり?
私の知っているサクラとおとりは、似ているけれどチョット違う。
囮は、罠にはめるってイメージ。でも、本物ではない客を装って、本当の客を呼ぼうという魂胆だから、囮であってるのか?
言葉って難しい。
当て字で偽客と書くらしいけど、こちらの方がやはり的を得ている感じ。
「偽客」のサクラに、これ!という説はないらし

本来は江戸時代に芝居小屋で歌舞伎をタダ見させてもらうかわりに、芝居の見せ場で役者に掛声を掛けたりしてその場を盛り上げること、またはそれを行う者のことをサクラといった。桜の花見はそもそもタダ見であること、そしてその場限りの盛り上がりを桜がパッと咲いてサッと散ることにかけたものだという。これが明治時代に入ると、露天商や的屋などの売り子とつるんで客の中に入り込み、冷やかしたり、率先して商品を買ったり、わざと高値で買ったりするような仕込み客のことも隠語でサクラと呼ぶようになった。サクラを「偽客」と書くようになったのはこの露天商などが用いた当て字が一般に広まったものである。<ウィキペディアより>

私たちのイメージは、一番最後の露天商の隠語ですね。