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信じる力

自分でも笑えるのだけど、

「みんな頑張ってる!」

という言葉を信じて頑張って、

蓋を開けたら、頑張ったのは自分だけだったという結果に終わった事が何度か。

 

そう言う場合、「みんな」は、自分の近くにはいなくて、普段会わない事が多い。

だから、実際にどうなのかを確認する手段がなかったり、結構自分が頑張っているので、他の人もそうだろうと思い込んでいたり。

 

結果を聞いて、あれ~? なんて思うけど、

結果が良くて、悪い気はしないし、実際に頑張ったのだから、何の問題もないけれど、

こういう信じる力って面白い。

 

信じると言うのは、ちょっと違うか・・・・。

ただの思い込みだし。

 

でも、思い込んでいるから、少しくらい辛い事があっても、パワーを貰っているような気がして頑張れるんだな・・・・。

 

こういう感覚って面白い。

思い込めって言われても出来ないけど、自然と思い込んでいる時は強い!

 

思い込みも、良いように転がればいいけど、悪い方に転がると目も当てられない結果になる事があるから要注意。

思い込みは、信じる力とはやはり違う。

スーパームーン

二か月続けてのスーパームーン!

スーパームーンは、月が一番地球に近づいた時の満月☆

ホント、奇麗!

 

supermoon

昨日の夜、双眼鏡で見たら、確かにこんな風に見えました!

初めて見たのでかなり!感動!

 

昔の人は、ここまで見えなかったから、ウサギに見たてましたけどね(^^)

でも、各国によって見方は異なります。

バケツを運ぶ少女とか、本を読むおばあさんとか、横向きの女性の顔とか。

一番私がそうそう!と思ったのは、「大きなハサミをもつカニ」です。これは、南ヨーロッパの人たちが見ていた月の模様です。

 

moontopography

上の写真のように、名前が付いている訳ですが、右上の方にある「危機の海」。

これを見分けていたのは中東の人たちだけ。アラブの人たちは、「立ち上がるライオン」に見ていました。

 

人が降り立てる時代と言っても、やはり月は一番近いけど遠い星。

見上げると神秘の香りにつつまれます。

愚痴を言う

同業者も同僚もいない所で仕事をすると、ある意味気楽だけれど、情報から取り残されるという状況に陥る。

また、仕事はしているわけだから、仕事に対するストレスが溜まってもはけ口がない。

どんどん溜まっても暗くなる。

 

愚痴を言うな!

なんて良く言われるけど、言ってすっきりして、気分を入れ替えて仕事をやる方が、はかどる気がする。

でないと、ずっとぐちぐち暗くなって、行動に移せない。

 

愚痴を言う相手としては、同じ仕事をしている人の方が、少しくらい話をはしょっても大体の事が分かるから良いと思う。

何も理解していない人だと、仕事の基本から話さないといけなくなる。

そうなると、面倒くさいし、時間がかかるし、相手にも迷惑。

 

それから、愚痴を聞いてくれない上司もつらい。

自分の思う通りに行かない言い訳をしたいから。

したところで、結局自分しかする人がいないのでやるのだけれど、我慢してやるより、ストレスを発散してからやる方が気持ちいいことだってある。

 

もしかすると、この愚痴って、女性特有?

なんて思ったりもする。

でも、それですっきりして、仕事の打ちこめたら、誰もが笑顔!

だから、愚痴を言う事をためらわない方がいいよ。

ただ、言う相手を間違えると、負の連鎖にはまるから要注意!

爽やか

驚いたことに「爽やか」は、俳句の世界では秋を表す季語。

てっきり、春先とか、緑が多くなって気候のいい頃の季節を現すのに使うのだと思ってました。

と言っても、俳句の世界では・・・ということなので、別に、俳句に関係ない私としては、好きな時に使えばよい!

と言う事になります。

 

 

「爽やかな人」って言うと、明るくて、にこやか。話し方もさっぱりしている人って感じでしょうか?

決して秋を感じる人では無いですね。

秋っぽいというと、もの憂げだったり、暗い感じだったり。

季節で言うと、やはり春でしょう。

 

この「爽やか」という字ですが、「大」に「メ」か「×」が左右に二つずつ。「メ」か「×」は、いろいろ諸説あるようですが、

①左右にきっちり分かれている状態で、そこから「割り切れる」とか「さっぱりしている」。そして「爽やか」。

②「袂の長い衣を着て舞っている姿」から、「美しい」で、「爽やか」。

③「メ」か「×」が四つは、囱(高窓)を省略した形。窓には、「あきらか」という意味があるようで、「人」と一緒になって「爽やか」。

 

 

ちょっと驚いたのが、「囱」には、傷つくという意味や、違反すると言う意味があるようで、「爽約」と書いて、意味は約束に背く事です。

「爽やか」なんて字を使いながら、そんな意味の言葉があるなんて、ホント驚きです。

忘れるために

出来れば、そうだな。
悲しさとか、つらさは、心の中にしまいこんで
出会えた事に感謝してみよう。

 

落ち着いて
穏やかに
目の前に立ってみよう。

 

昔の事を思い出す必要は無いのだから、

ただ、感謝だけ感じながら

目の前に立ってみよう。

 

そうしたら、ほら。

笑顔で話せた。

 

そうしたら、ほら。

向こうも笑顔を返してくれた。

 

その後で、悲しくて泣くのは勝手。

いくら泣いても、何度泣いても、

それは自分の気持ちのせい。

人のせいじゃない。

 

だから、

悲しさとか、つらさは、心の中にしまいこんで
出会えた事に感謝してみよう。

落ち着いて
穏やかに
目の前に立ってみよう。

 

きっと、感謝だけは伝わるよ。

不完全な完璧さ

不完全な完璧さ。

 

不完全なとは、勿論完全ではないという意味。完璧は、不完全な部分が一切ないこと。
だから、実際あり得ない言葉。
でも、この言葉。なぜか納得できる言葉でもある。

 

どこかいびつで、正確さが感じられない。けれど安心出来る時がある。

決して完璧ではないのに見ていると、或いは一緒にいると、安心出来て離れたくない心地よさを感じる時がある。

 

それは、人であったり、造形物であったり、自然界の中に存在する事象・事物だったりする。

 

言葉自体にも、なぜか安心感を感じる。

気を紛らわす

こんな思いはしたくない・・・
と辛いときは、仕事が忙しい方がいい。
あ、勿論プライベートでもいいけど、友人といて触れられたくない場合は、
断然仕事。

 

仕事だし、やらなきゃいけないし。
他のことを考えている暇がないと、その間は傷つかなくて済む。

 

逃げてるだけ?

 

でも、ある程度の事は時間が解決してくれる。

 

子供の頃に飼っていた犬が死んだときは悲しかったけど、
それを思い出して、今も泣く・・・なんてことは無い。
それと同じ。

 

でも、ホント、うまく言うよね。

時間が解決してくれるけど、それがどのくらいかは誰も教えてくれない。

 

パンダが自分の子供を忘れるのに1週間。

それくらいで済むなら、楽なのにね。

新しい風、新しい空気

今日は、やたらと仕事が楽しかった!

 

普段一人で仕事をしていると、うまくいかなかったりすると、結局一人でどんより。

でも、今日は人がいたので、仕事について会話が出来るし、愚痴も言えるし、

まだまだこの仕事、のびしろがあると感じられて、昨日までどんよりしていたのが嘘みたい。

やっぱ、ずっと同じ環境なのではなく、新しい空気の入れ替えや、新しい風を起こさないといけない。

 

一人で無理なら、人との協力が必要。

甘える訳にもいかないので、無理は言えないけど、たまには今日のような日を作ってほしいとお願いした。

 

こういうことも、他力本願ではなくて、自分の力で出来るようになればいいな。。。。と思う。

調子にのってはいけない

繊細な関係を保とうとする場合、相手と予想以上の会話が出来たからといって、
調子にのっては、あれやこれやと自分勝手な話題を振らないこと。

お互いに踏み込みすぎたと、引いてしまわれては、今後の関係が保てなくなる。

 

こっぴどい仕打ちは、今だとLINEの既読のみでコメントなし。

 

大人なんで、一言くらいコメントあってもいいのに・・・とは思うけれども。

ことばの不思議

言葉が生まれたのは、いつなのかな?と考えると、猿から人間へ変わった時って
いつなんだろう。。。と思う。
猿も、勿論コミュニケーションしてるけど、言葉を話している訳じゃない。

 

言葉は、人間だけのもの。あ、笑顔も。

 

どういう変化が起きて、言葉を発見したんだろう?

 

どうやってか発見した言葉を、人は話し続け、場所に寄っては変化しながら
今では、すべての人が言葉を使って話をしている。

 

未開の人たちの中には、「一、二、三、たくさん」という数え方をする人たちもいるらしい。
四以上は、きっと必要なかったんでしょう。

 

言葉はどんどん変化していく。

 

今、世界を席巻きしているインド・ヨーロッパ語族は、ある説では比較的新しい言語で、孤島のようになってしまった日本語や朝鮮語は、もっと古い言葉かもしれないと言われている。

 

古い新しいは、どうでもいいけど、どの言葉にも言える事は、現代の言葉と百年前の言葉では、なかなか大きな違いが有るってこと。
百年は、とりあえずの年数。
日本は島国で、他国からの流入がほとんど無かったにも関わらず。

 

だって、例えば夏目漱石の小説。今と同じ感覚で読めるか?と言えば、読めない。
何気に、「てにをは」の使い方が違うんじゃないの?なんて思うし、家の造りなんかが昔とは違うので、家のどんな部分を説明しているのか分からないとか。

 

さて、問題。
「鉢の開いた頭」とは?

 

さらに
「この兄はやに色が白くって」
って、どこで切るんだ?

 

こんな調子で、少し前の小説も意味不明な文章が出てくる。

 

文字とともに、言葉もどんどん変化していく。
今では、英語まじりの日本語を言う事も多い。
勿論、英語を話す人たちには通じない日本語英語だけど。

 

漢字が入ってくるまで文字を持っていなかったのかどうかは不明として、
漢字が入って来てから、日本語は漢字ばかりで文章を書くようになり、
分かりづらいから平仮名とカタカナを発明し、今では三つの文字が入り交じる文章に。

 

言葉の変化を促すのは、どんな国でもどんな時代でも若者たち。
若者たちが、自分たちなりの新しい言葉を使うようになり、使い勝手のいい言葉だけが残っていく。
ところてんみたいに、若者たちは次から次へと言葉を発明していく。

 

普段、誰もが使っている言葉が、刻々と変化していく事に、人って何気についていく順応性の高い動物です。