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言葉は生き物

もし、言葉に変化がなければ、今も平安時代の人達と同じ言葉を話し、文章もきっと研究なんてしなくても読めるから、国語を習うだけで、古文も漢文も習う必要なないはず。
言葉は本当に生き物のように変化していく。数十年生きただけでも、使われなくなった言葉を思い出すことができるし、最近使うようになった言葉もある。
最近良く言われるのが、「ら抜き言葉」。「見られる」が今の所正しいと言われているけれど、「見れる」と言う人のほうが多いのではないかと思われる。

さらに言えば、「難しい」を「ムズい」と言うし、「恥ずかしい」を「ハズい」なんて言う。
これが、今後残っていく言葉なのかどうかは分からないけれど、言葉って、おそらく今までも同じように変化したり、戻ったりを繰り返しつつ、その時代その時代の日本語を作ってきたんでしょう。
どの時代も、若者言葉が言葉の変化に大きく貢献しているのでしょう。文字にする言葉より、話す言葉の方が先を行きますから。

いまどき、「かくのたまうは誰ぞ?」なんて聞き方しませんよね。「こんな風に聞くのは誰?」って事ですが。
吾輩は猫である。あまりにも有名ですが、今、自分の事を吾輩と呼ぶ人はいません。

中国から漢字が入ってきた頃は、大きく言葉も変わったのではないでしょうか?
現代の日本で外来語が普通に日本語として使われているのと同じような感じで。
タオルとかハンカチを、もともとの日本語で言おうなんて人はいないと思います。が、例えば、「ディテールが知りたい」なんて言うと、「詳しくはこちらを見てください」なんて、分かりやすく日本語で返事をしたりします。ディテールという(日本語英語の)言葉が、まだ浸透していないせいです。

とは言え、日本語英語の多いこの頃。英語を話す人たちには通じないアクセントだったりするのですが、英語を使うのがおしゃれだと思うのか、やたらと日本語英語で話す人はいますよね。どのくらい普及しているのか確認しつつ、話してもらいたいものです。

今後、どのように英語が日本語に入ってくるのか分かりませんが、今よりももっと利用する頻度が高くなる事は間違いないでしょう。で、後世、日本語の研究家が言う訳ですよ。この時代はアメリカとの関係もあり、日本語の中に英語の要素が多くなった時代だって。

日本語の起源

今、世界で主流なのが印欧語=インド・ヨーロッパ語族。
ヨーロッパ人は、文法なんかが殆ど同じなので、2~3ヶ国語を話せるのが普通らしい。一時期は(今もかな?)ドイツ語が話せると食いっぱぐれがないくらいの事を言われていたと思う。出来れば、ドイツ語かフランス語。
で、なぜ、日本人が外国語を話せないかと言えば、日本語の母音は五つしかないし、子音も少ないから、なかなか聞き取れない。特に、RとLの違いがないから、聴きとるのが難しい。勿論、慣れれば聞き取れるようになるけれど。ただ、今までは日本国内で英語が必要だった事もないから、聞き取れる前にやめてしまっている事が大半ですよね。

RとLが聞き取れない!

印欧語が生まれたのは、5~6000年ほど前と言われています。
人類の言葉は、約10万年前には生まれていて、5万年前に大きく発達したらしい。と言う事なら、印欧語なんてつい最近生まれた言葉って事になる。言うなれば新興宗教ならぬ新興言語。
ある方の説では、日本語が生まれたのは3万年ほど前。と言う事なら、印欧語より、日本語は古い!と言う事になる。今の印欧語が世界を席巻きする前から日本語はあったけれど、やはり極東!影響を受けにくかったって事は、大いにあり得ます。

日本語の生まれがどこなのかは、もう分からなくなってしまったけれど、「印欧語よりも古い言語の生き残り」と思えば、なんとなくひとりぼっち感も薄らぐような気がします。

【注意】いろんなモノを斜め読みし、自分なりの感想が入っているので、事実と異なる事は大いにあります。

言葉を交わす

kaiwa

一人で仕事をしていると、勿論はかどる事もあれば、誰かの顔色をうかがう必要もないし、案外気楽。自分に都合のいい部分もたくさんあるけれど、落ち込んでいる事に気付かない事もある。
実際にはテンションが下がっているのに、一人でいることが普通だからいつもと同じように行動しているつもりになってしまって、結果の出ないことにあせる・・・みたいな事が出てくる。

やはり味方だけでなく、同じ側に立つ人と言葉を交わす事が大事だと思うようになった。多分、仕事の話だけではなくて、些細なことを電話なり、今ならLINEなりでやり取りする。
自分のことを理解しているはずの人だから、顔を見なくても、直接仕事の話でなくても、なんとなく頑張ろうという気持ちがいつもより強くなる。ということに気づいた訳。

結構自分は強いんだと思っていても、結果を見ればわかる事。
強がるなんて事をしているつもりはないので、なんとなく「あれ~?」と思ったら、分かってくれそうな人と話をするようにしよう!

自分への言葉

海外ドラマで「メンタリスト」というドラマがある。それを見ていたら。主人公のパトリック・ジェーンが言った言葉があります。

「私は、棒や石では傷つくが、言葉では傷つかない」

強いなぁ・・・・

人の心が傷つく時って、勿論いろんなシチュエーションがあるけれど、人の言った言葉で傷つく事が何よりも多い。
ある人から、こんな時に、こんな風な事を言われた。
それが嬉しかったのか、傷ついたのか。

些細な言葉が人の心に突き刺さる。
自分がそんな風に受け取るために、その人が言っていなくても。
最近知り合った人から、時々メールが来る。
冗談なのか、起こっているのかが分からない時がある。
間違って誤解して、対峙し合うのはもったいない。
傷つけられたと思いこんで、暗くなるのももったいない。

そうそう、ある人が言っていた。
自分を褒める言葉は、自分が一番たくさん言えるんだよと。

これは、虹?

ふと見たら、雲がこんなふうに。

虹か雲か

写真だと結構赤っぽいだけに見えますが、淡い青色もちゃんと見えてました。
最初は短い虹かと思ったけれど、どう見ても雲に虹色が付いているみたいなんですよね。夕陽が雲に反射してるんでしょうか? ちょっと不思議な光景でした。

長く生きてますが、自分の街で出会った初めての光景です。この写真を見ていると、隕石か何かが落ちているみたいにも見えますけど。

虹(にじ)とは、赤から紫までの光のスペクトルが並んだ、円弧状の光である。気象現象の中でも、大気光学現象に含まれる。
太陽の光が、空気中の水滴によって屈折、反射されるときに、水滴がプリズムの役割をするため、光が分解されて、複数色(日本では七色とされる)の帯に見える。

以上、ウィキペディアから。
虹と言えば、見ると子供たちが歓声を上げるような光景ですが、虹を学問的に説明すると、上記のような表現になります。堅苦しいかもしれませんが、光のスペクトル・・とか、水滴のプリズム・・・なんて、そそられる言葉が並びますね。

ここで、浮かんだ言葉たちの群れが、小さなポエムになりました。

大空を渡る光のスペクトル。
この橋を渡ったら、
ねぇ、いったいどこに行きつくだろう
水滴のプリズムに、太陽の光が七色に染まる。
ねぇ、一緒に行けたらいいね。
この先に何があるのか、良くはわからないけれど。

ことばの語源

「ことば」って、「言」+「葉」からきていると思っていたら、意外と違って、「言」+「端」なのだそうです。
「モノを伝える」、或いは「何かを言う」と言う事は、相手に対して事実を伝えるという大切な行為ではありますが、それよりももっと軽い意味を持たせるために「端」という字をくっつけたのではないかと言われています。もしかすると今で言う冗談を言う事なんかが、その当時は当てはまったのかもしれませんね。

「言葉」「言羽」「辞」の三種類が使われていた時代もあったようですが、今、「言葉」という字になったのは、「葉」にはたくさんの意味や豊かさを現す意味があるからだそうです。(語源由来辞典より)

「言羽」という字に惹かれます。Caran Colonで使われている詩を考えると、「言羽」と言う字がふさわしいように思われるので。

鐘の音は始り。
鐘の音は終着。
鐘の音は遥か彼方に鳴り響き
鐘の音はいつか
あなたの処へ舞い降りる。

ずっしりとした感じではなっくて、ふわふわ漂って、ふと気づいてくれた人の心に羽がそっと舞い降りるって感じ。詩になっているのは、鐘の音ではありますが。

影響を受けた歌

影響を受けた歌というのか、映画を見て、歌が心に残ったという事かも。
映画のタイトルは「キタキツネ物語」。後に、キタキツネに、映画に描かれるような家族愛はないと何かで読み、え? と思った記憶がある。キタキツネは、自分の産んだ子供の数が分かっていないらしく、数匹いるうちの一匹がいなくなっても分からないらしい。そうなってくると、映画とかなり違う事になるけれど、子供心にぐさりと突き刺さった刃は、そう簡単に抜けないし、心に残っている曲のために、つい最近もCDを買いなおしました。

子供時代の心って、凄いですね。

で、何の曲かっ言うと、タケカワユキヒデ作詞作曲の「小さな翼」「みんなみんな不思議だね」「グッド・モーニング・ワールド」の三曲。どれも、子狐のための歌。

昔の自分が作った詩を見ていると、特に「小さな翼」に影響された詩が散見される。良く似た感じでバージョンが違うよって感じの詩。
「ぼくは12歳」と同じくらい時代に聴いた曲なので、どちらも相まって色濃く心に残ったのでしょう。
そう思うと、子供の頃に受けた影響って大切なんだなぁ・・・・。

影響を受けた本

子供の頃に読んで、今でも忘れられない本。読書家ならたくさんあると思うけど、私の場合、影響を受けた本は?と聞かれたら、この2冊。
「ぼくは12歳」と「サハラに死す」

「ぼくは12歳」は詩集。12歳で自殺した少年の詩を、後にご両親が本にしたもの。
簡単な言葉で、自分の想いや日常をサラっと書き記してある。言葉がストレートで、飾りがなく、ピュアで。
ストレートでピュアな詩が書きたくて、真似して書いてみたり、語呂を合わせてみたりって事を何回繰り返したかなぁ。
実際に、どう影響を受けたかは分からないけど、ふと思い出しては、そのピュアな雰囲気を感じます。

もう一冊は「サハラに死す」。文字通り、サハラで無くなった青年の、後に見つかった日記。多分、初めて読んだ実際の冒険だったので、心の残ったのだ思います。未だにサハラに行った事がないけれど、この本を読んで以来、憧れというのかなんと言うのか。初めて書いた小説で、主人公が影響を受けた場所ということで書いた場所でもあります。赤い大地。やはり一度は行かないといけないでしょうね。

それから、捨ててしまって後にだいぶ後悔したのが「007シリーズ」。映画だとあまり分からないと思いますが、これ、ちゃんとストーリーが繋がってるんですよね。そんなに深くはないけれど。kindleでもiBookでもどちらでもいいので、出してくれないかなぁ。。。。